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東京高等裁判所 平成5年(ネ)3566号 判決 1994年8月30日

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴人の当審における請求を棄却する。

三  控訴費用(当審における請求に係る分を含む。)は、控訴人の負担とする。

理由

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人らは、控訴人に対し、各自金六四九五万円及びこれに対する平成三年六月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、第一第二審とも被控訴人らの負担とする。

4  仮執行宣言

二  被控訴人ら

控訴棄却

第二  事案の概要

次のとおり付加、訂正するほかは、原判決の事実及び理由の「第二 事案の概要」欄に記載のとおりであるから、これを引用する。

一  原判決二枚目裏二行目の末尾に「控訴人は、当審において、田ケ谷夫妻が故意又は重過失により、控訴人に対する通知をしないまま、本件賃貸借契約を解除したことよる不法行為に基づく損害賠償請求として、右額の金員及びこれに対する不法行為後の日である同日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める請求を追加した。」を、同五行目の「通知義務が」の次に「商事債務に当たるか、その不履行による損害賠償債権が」を加え、同行目の「<5>」を「<7>」に改め、その前に「<5>田ケ谷夫妻が控訴人に対する通知をしないまま、本件賃貸借契約を解除したことが不法行為となるか、<6>右不法行為による損害賠償請求権が消滅時効により消滅したか、」を、同六行目の「損害」の次に「(債務不履行又は不法行為によるもの)」を加える。

二  同四枚目表一行目の「昭和六一年二月一三日」の前に「その支払を催告の上、」を加える。

三  同五枚目表八行目の「本件念書に記載された通知義務」を「本件念書の第四項に記載された通知義務(以下「本件通知義務」ともいう。)」に、同六枚目表一〇行目の「から」を「ほか、本件念書によれば、通知が義務として負担させられていることが容易に認識できるものであるから、田ケ谷夫妻に要素の錯誤があつたとしても、同人らには重大な過失があり」に改める。

四  同七枚目表一〇行目の「以下の理由により」の次に「商事債務に当たるから、その不履行に基づく損害賠償請求権は、」を、同裏二行目の「請求し得たのであり、」の次に「したがつて、その不履行による損害賠償債権の消滅時効はその時から進行を始めるものということができる。そして、」を加える。

五  同九枚目裏三行目の「4」を「6」に改め、その前に次のとおり加える。

「4 不法行為

(控訴人の主張)

田ケ谷夫妻は、本件念書が控訴人のトキワ工芸に対する信用金庫取引上の債権を担保するために作成されたことを熟知していた。そして、トキワ工芸の賃料滞納を理由に本件賃貸借契約を解除すると、控訴人にとつてトキワ工芸に対する右債権の回収が不能又は減少することを知りながら、あるいは、これを容易に知り得たのに、当時、相続税の分納のため、大蔵省に対し、自宅の土地建物に多額の抵当権を設定していたことから、本件土地を借地権の負担のない土地として売却するため、あえて控訴人に賃料滞納の事実を通知せず、昭和六一年二月一三日、トキワ工芸との本件賃貸借契約を解除し、控訴人のトキワ工芸に対する債権の担保を消滅させた。その結果、控訴人は、本件建物が取り壊され、根抵当権等が消滅したため、債権回収が不能となり、後記6の損害を被つた。

5 不法行為による損害賠償請求権の消滅時効

(被控訴人らの主張)

田ケ谷夫妻が控訴人に対し、トキワ工芸との本件賃貸借契約を解除した旨の通知をした日(昭和六一年二月一七日)から三年が経過しているから、控訴人の不法行為に基づく請求権は時効により消滅している。被控訴人らは平成六年三月三日の当審第三回口頭弁論期日において右の消滅時効を援用した。」

六  同九枚目裏一〇、一一行目の括弧内を「競売手続費用三四万〇二七二円及び本件競売代金(八〇九五万円)から右競売手続費用額と商工組合中央金庫の根抵当権極度額(一六〇〇万円)を控除した残金六四六〇万九七二八円の合計額」に改める。

第三  当裁判所の判断

当裁判所も控訴人の被控訴人らに対する請求は、当審における追加請求を含め、いずれも理由がないからこれを棄却すべきものと判断する。その理由は、次のとおり付加、訂正するほかは、原判決の「第三 当裁判所の判断」欄に記載のとおりであるから、これを引用する。

一  原判決一〇枚目表八行目の「本人尋問の結果」の次に「(一部)」を加え、同行目の「認められる」を「認められ、この認定に反する右本人尋問の結果の一部は採用し難い」に改め、同一一枚目表二行目の「理解して」の前に「ともに、本件念書への署名捺印により、第四項所定の事由が生じた場合、田ケ谷夫妻が控訴人に対し、所定の通知義務を負うに至ること」を加える。

二  同裏五行目の「本件念書」から同六行目の「よいと考え、」までを「翌日の」に改める。

三  同一二枚目表三行目の「いうべきである」の次に「(この契約に基づく通知義務は自然債務ないし徳義上の義務ではない。また、本件念書の第四項の文言及び弁論の全趣旨によれば、同項の借地権の保全自体は努力目標に過ぎないともいえるが、通知義務の方は、契約に従い履行を要する義務であると解せざるを得ない。)」を加える。

四  同一二枚目表四行目から同裏七行目までを次のとおり改める。

「3 右通知義務は、本件念書によると、本件土地の地主である田ケ谷夫妻のほか、その賃借人であるトキワ工芸もこれを負担するものであるが、その趣旨は、本件念書の第四項所定の本件土地の借地権の消滅又は変更をきたすおそれのある事実が生じた場合等に、地主である田ケ谷夫妻及び賃借人であるトキワ工芸に対し通知義務を負わせ、この義務の履行により、右事実の発生等を控訴人に知らせて、控訴人による第三者弁済(民法四七四条)又は賃料の代払(民事執行法五六条)の途を開き、もつて、根抵当権の目的である本件建物の従たる権利である本件土地の借地権の保全を図り、これにより債権の保全、回収に支障なきを期することを目的とするものと認められる。そうすると、右通知義務は、田ケ谷夫妻又はトキワ工芸が本件土地の借地権の消滅又は変更をきたすおそれのある事実等の発生を知つたときに生じ、右借地権が消滅するなどその保全を図り得ないことが確定するときまで存続するものであるということができる。そして、右通知義務に違反した場合に、控訴人の根抵当権の目的の一部又は全部が失われ、控訴人に損害が生じ得べきことはこれを容易に認識し得るものであつて、前記のとおり、田ケ谷夫妻が本件念書への署名捺印に際し、右通知義務を負うに至ることを理解していた以上、控訴人から本件念書の内容につき説明がなかつた等の前記認定の事情を考慮しても、田ケ谷夫妻のした右通知義務を負う旨の意思表示には、要素の錯誤があるとは到底いえない。

また、本件通知義務が右に述べたようなものである以上、本件土地の借地権の消滅又は変更をきたすおそれのある事実等の発生した後で、根抵当権の目的である右借地権に変動を生じない前に、控訴人が右事実等の発生を知つたときは、田ケ谷夫妻又はトキワ工芸にそれをわざわざ通知させる必要はないから、田ケ谷夫妻又はトキワ工芸の右通知義務は消滅すると解すべきであるが、本件では、控訴人が本件土地の賃借人が賃料の支払を怠つている事実を本件賃貸借契約の解除までに知つたとの事実を認めるに足りる証拠はないから、右通知義務が消滅したものということはできない。右によれば、田ケ谷夫妻は、本件通知義務を負つているものということができ、本件土地の賃借人(トキワ工芸)が賃料の支払を怠つた事実を知つた以上、その事実を控訴人に通知すべきであり、本件賃貸借契約の解除までにこの事実を通知しなかつたことは、本件通知義務に違反するものであつて(なお、右解除後直ちに、田ケ谷夫妻が控訴人に対し右解除をした旨の通知をしていることは前記第二の二の6のとおりであるが、この通知はもとより右通知義務の履行とは認められない。)、控訴人に対し、右通知義務違反により生じた損害を賠償すべき責任を免れない。

(通知義務の商事債務性)

4 本件念書は、本件土地の地主である田ケ谷夫妻と賃借人であるトキワ工芸とが連名で控訴人に対し差し入れる形式の文書であり、その第四項の通知義務(本件通知義務)についていえば、その文言上も、田ケ谷夫妻とトキワ工芸とが同一の通知義務を負担しているものである。

ところで、本件念書による本件通知義務を含む各種の義務の負担は、トキワ工芸が控訴人との信用金庫取引約定に基づき貸付を受けるに際し設定した根抵当権の目的の保全を図ることを目的とするものであり、トキワ工芸については、その根抵当権設定行為に付随する行為ということができる。そして、田ケ谷夫妻が右各種の義務を負担したのは、トキワ工芸(その代表者)の依頼に基づくものであるが、トキワ工芸の根抵当権設定行為及び右各種の義務の負担を支えるものであつて、それらと別個独立には考え難いものであることは明らかである(このような点から、トキワ工芸の義務は主債務、田ケ谷夫妻の義務は連帯保証債務になぞらえることができよう。)。

しかして、株式会社であるトキワ工芸の、控訴人との間の信用金庫取引約定に基づく金銭借入行為及び担保提供行為としての根抵当権設定行為はもとより、本件念書による各種の義務の負担行為及び田ケ谷夫妻に対する右義務の負担の依頼行為も、トキワ工芸がその営業のためにしたものと推定されるから商行為に当たるということができるのであるが、右に述べた、一通の本件念書で田ケ谷夫妻とトキワ工芸とが連名で同一の義務を負担していること、トキワ工芸の右義務負担行為及びトキワ工芸の田ケ谷夫妻に対する右義務負担の依頼行為が商行為であり、田ケ谷夫妻の義務負担行為がトキワ工芸の控訴人に対する本件建物の根抵当権設定行為及び右義務負担行為と別個独立には考え難いものであることを総合考慮すると、少なくとも、田ケ谷夫妻の負担する本件通知義務については、商法三条二項により、商法の規定を適用するのが相当というべきである。

この点につき、控訴人は、本件念書による義務負担行為は、トキワ工芸と田ケ谷夫妻とによる一個の共同の行為ではないから、商法三条二項の適用はない旨主張する。

しかし、本件念書の第四項の通知義務は、賃借人たるトキワ工芸からの義務の履行に意味がないとはいえず、むしろ、担保権確保の目的の保全の見地からすれば、控訴人と直接の取引関係に立つトキワ工芸に右取引関係に付随してこれらの義務を課するとともに、トキワ工芸からの通知等が必ずしも期待できない場合のあることを慮つて、これを補完するものとして本件念書により、賃貸借契約の他方当事者である田ケ谷夫妻にも同一の義務を課したものと解して何ら不都合はない。そうすると、トキワ工芸と田ケ谷夫妻の右通知義務負担行為は、一個の共同の行為ともいえるのであつて、右控訴人の主張は採り難い。

(通知義務の不履行による損害賠償債権の消滅時効の起算点について)

5 田ケ谷夫妻が負担する本件通知義務につき商法の規定が適用される以上、右通知義務不履行による損害賠償債権についても、商法の規定が適用されるから、右損害賠償債権の消滅時効期間は、商法五二二条により五年間である。

ところで、前記第二の二のとおり、トキワ工芸が本件土地の賃料を滞納したのは昭和六〇年四月分以降であり、田ケ谷夫妻が本件賃貸借契約の解除をしたのは昭和六一年二月一三日、控訴人に右解除をした旨の通知をしたのは同月一七日である。

そうすると、控訴人は、遅くとも同日には、田ケ谷夫妻の本件通知義務の不履行を知り、かつ、本件土地の借地権が本件賃貸借契約の解除により消滅してそれにより損害が発生したことを知つたものと解することができる。

したがつて、右同日の翌日から五年目の平成三年二月一七日の経過により、右損害賠償請求権は、時効により消滅したものというべきところ、本訴提起が平成三年五月一六日であることは記録上明らかであるから、本件損害賠償請求権は時効により消滅したものと認められる。

この点につき、控訴人は、田ケ谷夫妻から本件賃貸借契約解除の通知を受けた後、一貫して事前通知義務に違反する解除は無効であると主張してきたから、これと両立し得ない損害賠償請求権の行使は法律上不可能であつて、消滅時効の起算点は、控訴人が本件建物の売却許可決定が取り消された旨の連絡を受けた日ないしはそれ以降であると主張する。

しかし、田ケ谷夫妻の控訴人に対する本件通知義務の不履行が、本件賃貸借契約の解除を控訴人に対する関係で無効とするとの控訴人の見解は、独自のものというべきであるから、控訴人が右見解に立つて、解除通知の後に本件建物につき競売手続を申し立て、これを進行させ、その間、本来、行使が可能であつた本件通知義務の不履行による損害賠償債権の行使をしなかつたとしても、それは、法律上の障害とは到底いい難く、控訴人の主張は採り難い。

(不法行為の成否及びこれに基づく損害賠償請求権の時効消滅の有無について)

6 右に認定したところ及び弁論の全趣旨によれば、田ケ谷夫妻が控訴人に対する本件通知義務の履行を怠つた上で本件賃貸借契約の解除をしたことは、右通知義務を履行して未払賃料を控訴人に第三者弁済させることとなると本件賃貸借契約の解除ができなくなることを認識した上での行為と窺うことができ、右通知義務を怠つたことによつて控訴人の担保権の目的の一部又は全部が消滅することをも認識していたものとも窺い得るから、田ケ谷夫妻の右行為は、控訴人に対し、不法行為をも構成するものと解される余地が大きい。

しかし、右4によれば、控訴人が右不法行為による損害の発生を知り、損害賠償請求権の行使が可能となつた時は、遅くとも、控訴人が田ケ谷夫妻から本件賃貸借契約を解除した旨の通知を受けた昭和六一年二月一七日と認められるところ、控訴人が不法行為による損害賠償請求をしたのは、平成六年二月一日の当審第二回口頭弁論期日においてであることは当裁判所に顕著である。

そうすると、不法行為による損害賠償請求権は、それが認められるとしても、昭和六一年二月一七日の翌日から三年目の平成元年二月一七日の経過により時効によつて消滅しているものというべきである。

第四  結論

よつて、控訴人の原審における請求は理由がないからこれを棄却すべきであつて、これと同旨の原判決は相当であるから、本件控訴を棄却することとし、また、控訴人の当審における追加請求も理由がないからこれを棄却すべきである。よつて、民訴法九五条、八九条を適用して控訴費用(当審における追加請求に係る分も含む。)は控訴人に負担させることとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 鈴木康之 裁判官 大前和俊 裁判官 三代川俊一郎)

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